理系受験生を本心から応援する「三つ子の魂百まで」の私の理由

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アテナイブログを担当しておりますKodabou(コダボウ)です。今回は、ブログ担当のKodabouが記事をお届けします。

アテナイのメディアを執筆しておりますTakataさんは物理・化学に造詣が深いので、Takataさんは大学受験の物理や化学を学術的な見地から解説しています。

でも、私、Kodabou(コダボウ)は、「物理・化学の学習に役立つ、よもやま話や様々な情報」「皆さんの勉強の気分転換になる面白い話」「皆さんの大学受験や将来に役立つ情報」「皆さんの知的好奇心を刺激するような豆知識や教養」「皆さんを励ますことができる話題」「医学部についての情報」など、よりソフトで読みやすい内容をお届けしていきます。ぜひ、気が向いたときにでも、気軽に目を通していただければ幸いです。

東京では梅の花も咲き始め、昼間の太陽は力強くなってきたと感じるものの、私は朝晩の冷え込みにこたえております。

急に話は変わりますけれど、今の時代、「心の癒し」や「心の安らぎ」を求めてらっしゃる人が多いのではないでしょうか。ただでさえ、コロナで先行きが見えず、感染リスクそのものも大きな不安原因ですよね。でも、私は、こういう時だからこそ、自分の殻にこもらずに、感性を豊かにして、外の世界を受け入れるしかないのだと思っています。

(新)大学生や新社会人など、若い人たちが引越しを始める、出会いと別れの季節が、もうすぐやってきます。若々しい、みずみずしい感性を大事にして、全身で春を感じたいと思っています。

さて、私が担当のブログでは、アテナイの教授メソッド「口頭試問」についての話題が連続しましたので、本日は閑話休題として、皆さんの気分転換になるようなコラム記事をお送りします。

理系の大学受験生を、本心から応援しています。~「三つ子の魂百まで」

一般に大学受験は、理系のほうが難関であると言われています。東京大学の理科1類と2類、文科2類と3類の偏差値を比べると、理科1類・2類のほうが僅かに高いだけですが、そもそも理系科目の数学、物理、化学は、文系科目に比べて難しいというのが、国際的には一般的な認識なのです。たとえば世界中の高校を見ると、ドイツ語からフランス語のどちらかを選択履修することが必修というシステムのところが多いのですが、ドイツ語は英語より難易度の高い科目です。この「ドイツ語」と同じくらい難しいと国際的に考えられているのが、日本の数学、物理、化学になります。

私は、幼いころ、それも3歳から8歳くらいまで、知的好奇心が旺盛だったこともあり、自分が疑問に思ったことを何でも両親や親戚に尋ねていました。でも、その質問の回数が余りに多かったみたいで、「それは、あなたが大きくなったら、学者になって解明してちょうだい」と言われていました。「三つ子の魂百まで」というように、「僕が大きくなったら学者になるんだ」と幼心に決心したことが、その後もずっと消えなかったのです。

その後、私は中学受験予備校に通わされ、ある日のこと、「あなたを中学受験予備校に入れたのは、理系に強い学校に進学させて、あなたを医者にさせるためよ」と親から告げられました。理系に強い学校は中学受験して入るのだと諭され、その時は「将来は医者になるんだ」と志しましたが、中高一貫校に入ってから、「学者になるんだ」という幼心の決心がよみがえってきたのですね。

この話(中高生時代の進路選択の話)は、また別の回に続きますが、結局、私は、大学院で人文科学を中心に文系の研究を行いました。でも、文系の研究を活かせる場は、本当に少ないのが現状です。ですから、医師を志す方はもちろんのこと、「手に職がつく」と言われている理工系や情報系など昨今人気の理系学部への進学を志している方も含めて、理系の大学受験生を全員、本心から応援しています。

高校生のうちに、英語などの文系教科に加えて、難易度の高い理系科目をいくつもマスターするのは骨が折れると思いますが、今の社会では、必ずそれは将来役に立ち、大輪の花を咲かせることができます。それは、「若い頃の苦労は買ってでもせよ」といった精神論の枠組みを離れて、終身雇用制が崩れ、年功序列の無くなった日本社会の現実、「21世紀型スキル」など数々のスキルが求められて先行きの見えない日本社会の現実に照らし合わせて、確実に言えることだと信じております。

Interior of a comfortable workplace.

正月の鏡餅に使われるダイダイの花が咲き始めます

皆さんは、正月の鏡餅やお飾りに使われる柑橘(かんきつ)類の果実の名をご存じでしょうか。ミカン科ミカン属の「ダイダイ」という果実になります。原産はインドやヒマラヤですが、日本には中国から伝来し、室町時代後期になって普及したと推測されます。成熟しても落果せず新旧の実を同一樹で見られることから、家が代々続くように願いを込め縁起を担ぐことを目的として、正月の鏡餅などに使われてきました。

花は白い花で、まもなく咲き始めますよ。果実の香りは良いですが、酸味と苦みが強いため、果汁はポン酢に使われ、皮はマーマレードやピールに加工して使われます。皮を乾燥させたものを漢方では橙皮というほか、八丈島では「カブツ」と呼ばれており、島焼酎と苦みのある果汁を混ぜて飲む伝統があります。

ネコと心を通わせた経験

ちょっと前のことになりますが、「スイスアルプスの雄大な山並みの中、ワイルドに暮らす猫たちの様子」がテレビで放映されていたことがありました。私は猫もスイスアルプスも好きですから、非常に楽しんで視聴いたしました。スイスアルプスの山並みはどこをとっても雄大で、長い人生、一度はサイクリングでスイスアルプスを縦断してみたいと思っています。また、そこに暮らす猫たちもワイルドで、蝶や鳥の卵を食べておりました。

私は、東京都府中の郊外の中河原という場所で一人暮らしをしていたことがあり、猫と心を通わせた経験があります。毎朝6時に近所の緑道に散歩に出かけていたのですが、必ずと言ってよいほど毎回、緑道で同じ猫と出会うのです。特にエサなどを与えたことはないのですが、毎朝会うたびに「ニャーゴ」と挨拶をしていました。すると猫のほうも、やはり「ミャーゴ」と返事をしてくれるのです。そして、だんだんと挨拶を交わしあう時間が長くなっていき、最後のほうは、私を見つけると猫のほうから体をすり寄せてくるようになりました。本当に可愛かったですね。

結局、引っ越しして、その猫には会えなくなったのですが、今でも時々、元気で暮らしているかと思いを馳せることがあります。あとになって、夏目漱石も大の猫好きで、離れ離れになった猫のことが忘れられないタイプで、猫好きが高じて「吾輩は猫である」を執筆したのだと知りました。私は小さな人間ですが、会えなくなった猫のことを忘れられない点が大文豪と共通していると知って、少し嬉しくなりましたよ。

もちろんコロナ禍なので人ごみの中には行けませんが、私が近所を散歩していると、中国の人や、東南アジアの人が、とても楽しそうに話をしていたり、満面の笑みで電話でしゃべっているのを目にすることがあります。それを見て私は、「日本なのに、日本人ではなくアジアの人のほうが、生活や人生を満喫している」と感じるのです。学業や仕事に追われて忙しくつらい日々を過ごすだけでなく、自分たちの国なのだから日本人だって日本国内で生活を満喫したいですよね。

自分の国を良くしていくことについて

ドイツやフランスが、誰にとっても住みやすい、QOLの高い社会に到達できた理由の一つとして、「我々はどんな社会を作り上げていくべきか」という点を19世紀からずっと議論し続けてきた成果である、という風に考えることができます。そういった「公共圏」は、日本においては、明治以降、主として戦後、新聞や雑誌の紙面に構築されてきました。

でも、私は、「日本人は、果たして自分の国にどういう社会を築いていくべきか」をディスカッションしていくための、老若男女が顔を付き合わせながら話し合っていく長期的な場が欲しいと思います。もちろんコロナ禍の現在ですから、オンライン・フォーラムやオンライン・カンファレンスとして、大学生や若い人から老人まで一緒に集まって、意見を出し合っていく場があればと思います。これまで新聞の社説欄に限定されていた議論を、市民全員に開放していきたいものですね。

投稿者プロフィール

Kodabou
Kodabou
根っからの語学マニア。大学院では、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ラテン語、古典ギリシャ語、韓国語を学んだ。日本にいる外国人と外国語で話すより、現地の国へ行って外国語で話すのが好き。